日本と西洋の美術
東京の美術館での展示会は、いつも満員で日本人の美術好きがうかがえます。
ここで問題なのは、日本の美術と西洋の美術では観賞の仕方が違うということです。
日本美術は、いかに描写技術や描写するための考え方を継承しているかという「伝統」が重視され、西
洋美術は、それまでの芸術をいかに破壊して、新しい価値を生み出しているという「革命」が重視され
るのです。
今、上野の森の美術館でやっている「フェルメール展」も満員ですが、そのフェルメールの時代はキ
リスト教腐敗からカトリックとプロテスタントに分離し、地味なプロテスタント国であるオランダがオ
ランダ東インド会社を設立し、植民地の地図を次々と拡げて,成功を重ねていきました。
それで、カトリック教会が大好きな「派手な宗教画」よりも、質素な日常の絵が好まれるようになり、
絵のサイズも協会に飾る大きな絵ではなく自宅に飾れる小さい絵が「良い」とされるようになりました。
まあ、だからと言って、フェルメールの天才が否定されるわけでもなく、フェルメールの描き出す暗
いような絵にうまい具合に配置された「光」は、「革命」がなくても光っていたでしょう。
また、「笛を吹く少年」を描いたマネは、「睡蓮」を描いたモネやドガ、セザンヌ、ゴーガン、ピカソ、
ウォーホールにまで影響を与えました。
マネはパリでの複製技術の発達により、世界の色々な絵を観ることができるようになったことに目を
付け、このメディア環境の「革命」に着目し、古典から構図、モデルのポーズ、色彩の要素を引き出し、
マネの時代に合わせて再構成し、「暴力的とでも言うべき過激さ」とまでも言われました。
西洋美術の展示会に行く時は、その時代背景を調べていくと、さらに面白いのかもしれません。

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